競馬雑記帳
カントリー牧場をこよなく愛する小泉が競馬のこといろいろ語ります。ギャンブルを離れた競馬のすばらしさをご堪能ください。

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訃報 安田伊佐夫調教師
JRAは20日、栗東トレーニングセンター所属の安田伊佐夫調教師が同日に死去したと発表しました。
 安田伊佐夫(やすだ いさお)調教師は、44年11月22日生まれ、宮崎県出身。私が生まれた63年に騎手としてデビューし、タニノムーティエとのコンビで70年皐月賞、日本ダービーを制覇しました。2983戦342勝の成績を残して79年に調教師免許を取得しました。

先代の谷水信夫氏は、ベテランジョッキーがあまりお好きではなかったようで、タニノムーティエや弟のタニノチカラにもあまり実績のなかった騎手を乗せています。
一度は宮本騎手に主戦が変わりかけたようですが、紅葉杯での凡走をきっかけにまた安田伊佐夫氏にチャンスが廻ってきたようです。
あの伝説の菊花賞でスタンドの大歓声をタニノムーティエにまたがって聞いたときはどんな気持ちがしたのか聞いてみたかった気がします。

主な管理馬には01年宝塚記念(GI)を制したメイショウドトウや、重賞2勝のファストタテヤマなどがおり、JRA重賞はGI・1勝を含む25勝をマーク。20日に高知競馬場で行われた黒船賞(交流GIII)には管理馬のヴァンクルタテヤマが出走(10着)しており、これが最後の出走馬となりました。通算成績はJRA5032戦487勝、地方57戦10勝。

謹んでご冥福をお祈りいたします。
私と競馬の出会い 4
昭和45年菊花賞。その日京都競馬場は薄曇りだったと思います。
小学校1年生の私の胸はそれまでに経験したことがないざわざわとした不安定なものでした。
スタートを難なくこなしたタニノムーティエは、いつものように後方から。ブロック塀を積んでいた母は、運悪く塀の向こう側にいたので、だんだんと高くなるブロック塀でテレビの画面が遮られるようになってしまいました。それでも母は、黙々とブロックを積み上げる父の横でピヨンピョンとジャンプしながらレースの流れを見ています。
1週目の正面スタンド前を過ぎるときもまだ大きな動きはありません。後に鞍上の安田伊佐夫騎手の手記を読むと、この辺まではまだのどなりの影響はなくスムーズに走っていたようです。ただ、1コーナーから2コーナーにかけてやはり喉が鳴り出し、もはやこれまでかとあきらめたそうです。
馬群は向こう正面から勝負所の坂を迎えます。そして、そのとき固唾を飲んで見守る大観衆の前で信じられないことが起こりました。あの強かった頃のタニノムーティエのように大外を一気に上がってきたのです。私も競馬場の大観衆も一瞬目を疑いました。3コーナーから4コーナーにかけて先行集団の後ろにまで上がってきたのです。
そのときのスタンドのどよめきを私は今でもはっきりと覚えています。実況の杉本アナウンサーも一瞬鳥肌が立ったことを覚えていると後に語っています。
私は涙を流しながら応援しました。大声を上げて応援しました。

しかし、タニノムーティエにはそれ以上の力は残っていませんでした。

結果は11着。春にライバルとして戦ったアローエクスプレスは9着。勝ったのはダービー2着のダテテンリュウでした。

このレースを最後にタニノムーティエは引退し、故郷の静内で種牡馬生活を送ることとなりますが、無事に秋を迎えていればシンザン以来の三冠間違いなしといわれていただけに、本当に残念な思いでした。
私にとってタニノムーティエは、競馬というもののすばらしさやはかなさをだけでなく、どんな場面でも最後まであきらめず、最善を尽くすことの美しさを教えてくれた、最も偉大で最も大切なサラブレッドなのです。
私と競馬の出会い 3
ダービーを勝ったタニノムーティエは夏を北海道で過ごさず、オーナーが所有する石山の牧場で秋を待ちました。これが後の喉鳴りの原因だといわれています。
秋初戦の朝日チャレンジカップ。ここで私は信じられない光景を目の当たりにします。いつもなら4コーナーで大外を通って上がってくるはずのタニノムーティエが直線に入ってもまったくのびてきません。もがくような走り方で結果は8頭立ての8着。
夏の間に喘鳴症にかかっていたのです。当時小学校1年生の私には訳がわかりませんでした。
そして次走の京都杯でも同じでした。三冠を目前にして、当時競走馬の致命傷といわれた喘鳴症に苦しみながら走る姿はとても見ていられるものではありませんでした。
菊花賞は3000m。この距離を無事に走り終えることができるかどうかも危ぶまれるような状態でした。
しかし、奇跡を信じるファンに押されて当日は5番人気に支持されていました。とうてい勝つことなどできるわけもないタニノムーティエの奇跡を願った人がどれだけいたことでしょう。
菊花賞当日、うちの父と母は親類の家でブロック塀を積む仕事が入っていました。私はその家で無理を言い、競馬中継を見せてもらいました。その家では競馬などまったく興味がなかったので小学校1年の私がそんなことを言うのでかなり驚かれた記憶があります。
そしてついに発走の時刻が来たのです。
私と競馬の出会い 2
小学校の1年生になった私は相変わらず馬の絵ばかり描いていました。毎日のように騎手がまたがって疾走する馬の絵を何枚も描くのです。おかげで私は今でも走る馬の絵を何も見ずにさらさらと描けるという特技を持っているほどです。
春になってもタニノムーティエの快進撃はとどまるところを知らず、弥生賞、スプリングステークスを連覇します。今ではこの両方のレースを使うことなど1流馬のすることではありませんが、当時は割とふつうに見られたことでした。
そして、いよいよ三冠レースの第一弾「皐月賞」を迎えます。余談ですが、この年はタニノムーティエの他に毎日杯を制したタニノモスボローという馬も皐月賞に出走しています。同じオーナーブリーダーの所有馬が2頭も重賞を勝ってクラッシックに出走するという今ではあまり考えられない快挙です。さらに余談ですが、この馬には現在活躍中の福永祐一騎手の父親である福永洋一騎手がまたがっていました。この人は元祖天才ジョッキーといわれたほどの騎手でしたので、この馬もそこそこ人気をしていました。
当日は重馬場でした。差しや追い込みの馬には明らかに不利です。しかも舞台は中山。ただでさえここの小回りは先行有利、つまりライバルのアローエクスプレスに有利です。
スタートして、いつもより幾分早めに仕掛けたタニノムーティエと安田伊騎手は、アローエクスプレスの外から襲いかかりました。予想外にしぶといアローでしたがタニノムーティエが頭差押さえたところがゴールでした。
こうして第一関門である皐月賞を制したタニノムーティエは、つづくNHK杯へ駒を進めます。軽いケガで十分な調教ができず、おまけに騎手が200のハロン棒とゴールを間違えるという今では考えられないミスのせいもあって、ここで初めてライバルの後塵を拝することとなります。テレビで見ていた私は好きな馬が負けるというショックを初めて味わったのです。憂鬱な日が何日か続いたのを今でもはっきりと覚えているほど大きなショックでした。

ダービー新聞

その年は、いわゆる万博の年でした。京都の街は空前の友禅好景気で、父母ともに友禅職人であった我が家にも、ついにカラーテレビがやってきました。「これでダービーをカラーで見れる!」と小学校1年の私は歓喜の渦中にいました。おかしな子供です。
そして当日。今よりも東西の対決ムードが高かった時代でしたから、レース前は大変な盛り上がりでした。はじめてカラーで競馬を見た私は、あの騎手服がこんなにもカラフルで美しいものだと知りました。そして、私の応援し続けているタニノムーティエは初夏の日差しをうけてまぶしいほど黄金色に輝き、鞍上の黄色に水色の勝負服と相まって他のどの馬よりも美しく見えたのでした。
レースでもその輝く姿は、いつものように大外を通り、すがるダテテンリュウを押さえて真っ先にゴール板を通過しました。2冠馬となったのです。
私はこのレースを死ぬまで忘れないと思っています。私を競馬というすばらしい世界へ導いてくれたタニノムーティエという馬と共に。
そしてこのあと私は、もっと深い競馬のドラマを知ることになるのです。
私と競馬の出会い 1
皆さんはタニノムーテェという馬を知っていますか?
私は今年44歳です。昭和38年の生まれです。
タニノムーティエという馬は昭和44年にデビューしました。当時私は6歳。競馬がわかる年齢ではありません。
私の家は当時大変貧しかったため父と母は共働きでした。当然世の中に週休二日というものはまだありませんでしたので土曜日も私と妹は家で両親が帰ってくるまで時間をつぶしていました。おもちゃなどとうてい買ってもらえなかった私はテレビを見ながらチラシの裏面に絵を描くことしかありませんでした。そんなときたまたま見たのが競馬中継です。もちろん当時は白黒テレビでしたが、それでも輝く馬体の美しさは幼い私の目を釘付けにするのに十分なものがありました。4コーナーを回って直線に向いたときのあの迫力はウルトラマンやスーパージェッターよりもずっと私を興奮させました。
やがてうちの母も私といっしょに競馬の魅力にはまってゆきます。そしてその年に北海道でデビューしたのがタニノムーティエです。
この馬はまぶしいほどに輝く栗毛でまっすぐな流星と後ろ足だけに白い靴下をはいています。馬体は450kg程度でどちらかというときゃしゃな方です。そして鞍上にまたがるジョッキーの勝負服は鮮やかなレモンイエローに空よりも抜けるようなブルーのたすき。白黒テレビでもその輝く姿はほかの馬を圧倒していました。
レースではいつもどの馬よりも外を通り、直線に向くやいなやほかの馬をなぎ倒すようにまとめてかわしてゆくのです。
私はこの馬の虜になっていました。いつ見てもこの馬は私の思ったとおり強い姿を見せてくれました。関東の雄アローエクスプレスとの対戦でもその強さは歴然でした。
そしてついに春を迎えクラッシック戦線が始まるのです。

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